だいぶ時間が空きましたが前回の続きです。
まだ読んでいない人は【前編】自分がいかに勉強が苦手だったか…勉強ヒストリーを書いてみる。から読んでみて下さい。
大学生時代(19〜23才)
良くも?悪くも予備校に洗脳され、ガッチガチの学歴コンプレックスを携えて夢のキャンパスライフが始まります。
受験戦争から解放され、牙が抜けたように遊びまくります!!
…とはならないのが俺クオリティ。
大学生時代のヒストリーは前半と後半に分けますね。
ちなみに大学では社会学を専攻しています。
やりたいことが見つからないやつが入る学科です。
前半(1回生〜3回生くらい)
ガッチガチに学歴コンプレックスに陥っていた僕は大学生活中盤がすぎるまで入学した大学を好きになれませんでした。
ちなみに入学式で隣に座った奴に見覚えがあるな〜と思ったら、同じ高校の後輩でした(高校時代は喋ったことないけど顔だけ覚えていた)。
この後輩とめっちゃ仲良くなって毎日遊ぶようになるんだけど、それはまた別の話です。
まあとにかく学歴が欲しくて、アホみたいに仮面浪人を考えるわけですね。
「東京の大学(明治あたり)に編入したい」って大学3年生まで考えていました…。
同じく仮面浪人を目論む奴と知り合って、一緒に勉強した時期もありましたね。
だがしかし勉強が苦手なので、結局編入試験も受けることなくこの大学を卒業することになります。(そいつも結局この大学を卒業することになりますが…変な奴だったのでフェードアウトしました)
そして大学一年生のこの時期に自動車の運転免許を取りに行きます!
勉強が苦手と言いつつも浪人を経験した僕は勉強に慣れていたので、仮免の勉強は必死こいてやりましたね。(あ、そーいえば高校の時に原付の試験に1回落ちてます…)
そして仮免の筆記テストの点数を順番に読み上げられるんですが、前の方に座っていた僕がはじめての「100点」取得者だったので、「100点」と読み上げられた時に教室の空気が変わったことを覚えています。
結局、「100点」の人は自分を含めて5人くらいいました。で、仮免のテストに落ちた人も5人くらいいて、教室の前に呼ばれている姿を見て「アホだな〜」なんて思いました。(←性格悪いw)
賢い人は大学生活の前半で単位を多く取得してしまって大学生活後半で遊ぶものなんですが、編入を考えていた僕はもうギリッギリの単位しか取得しませんでしたね。
そして大学のテストではありがたいことに持ち込みOKなので、カンニングペーパーを作ったり、提出するレポートはネットから拾ってきた記事のコピペだったりと変わらずクソみたいな学生生活を送ります。(ごめんなさい)
テスト前も一夜漬けで、本当に何も変わっていませんでしたね…
あとたまにめちゃくちゃ厳しい先生がいて、「講義に出ていないと解けない問題を出す」とか言っておきながら、テストの一部の問題が「某国へ調査したときにヘリコプターへ乗ったときの○○(先生の名前)の顔の絵を描け」とかだったので笑ってしまいました。(解:寝不足と恐怖でやつれた顔)
出席だけで単位が取れたり、テストが優しい「仏(ほとけ)の○○」がいたり、大学って楽しいところですよねw
そしてどうせ辞めるつもりだったので、大学生活前半はほとんど友達を作りませんでした。なので大学へ行って家に帰って編入の勉強もせずにテレビを見まくるっていう生活をしていました。
マジで関西の大学生の中で5本の指に入るくらいテレビを見まくってました!
ゴールデンはもちろん深夜のバラエティーはだいたい見てましたね。
「爆笑問題のバク天」「中川家ん」や「ジャイケルマクソン」、「落下女」や「ドラゴンボールアワー」とか好きだったなぁ〜
学校へ行くと数少ない友達(主にさっきの後輩)とテレビの話しかしていませんでした。
この頃の僕を見て父親が「あんまり浪人生活と変わってない」って心配していましたね〜
そういうわけで大学生活前半はあまり友達も作らず、ひたすらテレビを見まくるという生活で終わった感じです!
後半(3回生後半〜卒業)
大学2回生からゼミに所属していましたが、3回生になるとこれが本格化してきます。
ゼミとは、めっちゃ簡単に言うと少人数のクラス分けみたいなもんなんですが…ただ講義室に座っているだけで良かった通常の講義とは違い、ゼミメンバーと共同で調査したり発表したりするゼミの講義は苦痛でしかなかったです。
相変わらずテレビを見て、いつもの友達(例の後輩)と「昨日のアレ見た?」って永遠テレビの話しをする生活です。たまにカラオケやゲーセンに行きますが、大学生らしい飲み会や合コンなんて行きません。(つーか呼ばれません)
相変わらずテストは一夜漬け。単位ギリギリ。
ちっとも勉強をしないくせに、胸の内では「有名な私立大学に編入するんだ」ってずーっと思っていたからね。クソですわ!
で、本格化してきたゼミ。
一緒に街に出てフィールドワーク(市場調査)したりしているうちに少しずつゼミミンバーとの距離が縮まっていきます。ゼミの先生が若い人(当時38くらい)だったので飲み会を開く機会も多くなりちょっと大学生らしくなってきます。
そして4回生を目前にしたゼミメンバーとのお花見からゼミメンと過ごすことが楽しくなってきました!同ゼミメンだけでなく他のゼミメンバーとの横のつながりも出来てきて、友達の下宿先の狭い部屋で何十人も集まって宅飲みしたり、ゼミの女子メンバーとも話す機会が出てきたりとここから卒業まで楽しい大学生活を送ることになります!!
大学から家が近かった僕が家の車を借りて、みんなで遠出して遊びに行く機会も増えました。友達の車を含めて数台で移動する時、4人乗りの軽自動車で運転手の自分以外全員女子メンバーだった時は人生のピークかと思いましたね。まさに遅れてきた青春!!
が、その傍らで就職活動が開始されます。
大学が楽しくなりいつしか編入するという夢も忘れ始めた僕は、まだ単位を取る為に講義を受けないといけません。そして就活…全くヤル気がない!!
とりあえず、就活生が就活をするフリとして参加する合同企業説明会へはよく参加していました。(懐かしい!)
通常はそこから気になった特定の企業の説明会の参加や、実際にエントリーシートを提出して面接や就職試験に進む流れとなりますが…働きたくないんだから合説(ごうせつ)止まりです。
結局、勉強と同じで嫌なことや苦しいことからは向き合わないタイプです。
それでもこの時代はリーマンショック前、企業から「来て下さい!」と言われるようなありがたい時代です。こんな僕でもちょこっと就活して2つくらいから内定をいただきました!
が、全て蹴って卒業することになります。
ニート確定!
「仮面浪人して有名大学に編入したい」から、「漫画家になりたい」「世界一周したい」という新たなるバカな夢を見て、楽しい大学生活が終わりました。
社会人編(23〜31才)
大学を卒業後、ニートになります。
が、ニートは2ヶ月で卒業!ゲームが好きだったこともありゲームテスターとして働きはじめます!
ゲームテスターとはゲームのテストプレイをしてバグを探したり、モニター(意見)を書いたりするというお仕事です。仕事に関してはここでは割愛します。
ゲームテスターについて知りたい方は別ブログに詳しく書きましたのでそちらをご覧下さい>>>プロゲーマーだけじゃない!ゲームをプレイしてお金を稼ぐゲームテスターとは?
職場の同僚と飲みに行ったり遊びに行ったり、相変わらず大学時代のゼミの先生やゼミメンとも交流が続いたりと楽しい20代が続きました!とにかくそれなりにお金はあるから、頻繁に友達とご飯に行ったり旅行したりしましたね。
一方勉強の方は…
実は大学生の後半から読書をするようになって、本はよく読んでいましたね。(無駄に自己啓発系ばかりですが…)
小説も一時期よく読んでいました。この頃は割と躊躇なくいろんな本を買っていたと思います。
社会人として政治や経済について学ぼうとそれ系の本に手を出したり、中学公民の参考書を買ってみたりしましたが長続きしませんでした。
で、仕事の方がだんだんついていけなくなるんですよ…
とにかくゲームの仕様がややこしくて覚えられない。ただ用意されたチェック表を元に作業をこなせば楽でいいんですが、自らチェック項目を考えるという力がまるでない。エクセルが苦手すぎてチェック表すら作れない。
今まで勉強をサボっていたツケがここで一気に来たって感じです。。
相変わらず引っ込み思案でシャイな性格だから会議等に参加しても発言はしないし発表も思い出したくないほどに緊張してしまう。積極性やリーダーシップがないから出世も見込めない。(というかその意欲がない)
ゲームの腕前も人並みだし、とんでもないバグを見つ出すような発想力もない…
このままでいいのか…?
このまま何の生産性もなくただただ今の仕事にしがみつくだけでいいのか?
そこで「世界一周したい」という夢を思い出すんですよね。(漫画家の夢はどこいった?)
で、現実的に海外へ行く方法はないか?と考えた結果、世界一周ではなくワーキングホリデーで海外へ行こうと思い始めました。仕事で迷惑をかけて生きるくらいなら、やりたいことをやろうと。
その頃から「30歳からのブログ。」という雑記ブログを始めています。
今ではこっちのブログを始めちゃって放置気味、コンセプトも定まっていませんがワーホリ生活についてはそっちで書いてます。
仕事がダメダメすぎて個人的な日記を書き始めたりもしましたがやっぱりダメ…
とりあえず31歳を迎えるまでにワーホリビザを取得。
職場にはなかなか言い出せず、ギリギリになってなんとか退職。
いわゆるギリホリでオーストラリアへワーホリに行くことになります!
ワーホリ前に中学文法の参考書をやり直したりもしましたが…
英語の基礎に不安をかかえながらいざオーストラリアへ!
ワーホリ時代編(31才〜32才)
ワーホリの生活については上記で紹介したブログで書いているから詳しく知りたい方はそちらを読んでみて下さい。
ワーホリ生活ではまず始めにホームステイをしながら語学学校へ入学します。
ですが、お金をあまり使いたくなかったこともあり「海外生活に慣れる」「友達を作る」というだけの目的で語学学校では一ヶ月だけ申し込みました。
まず入学説明が当然英語なので全く意味がわからない!
あとから日本語ができる先生(日本人ではない)から個別に説明してもらわないと理解できなかったほどでした。で、面談とテストみたいなのがあって当然のようにビギナークラスへ配属されました。なんか、中学の頃の塾を思い出す…
授業はみんなでゲームをしたりと割と楽しい雰囲気で、自分も出来るだけたくさん発言したり、クラスの外国人に積極的に話しかけたりと自分なりに必死に英語を学ぼうとしていました。
ホームステイ先でも宿題を頑張ったり発音の練習をしたり、ステイ先のマザーやその中学生の息子と喋ったりとわからないなりにコミュニケーションに勤めました。
ですが、やっぱり英語が苦手なんですよね…
幼い頃に通った英会話スクールはなんだったのか…orz
そもそも「この人と話したい!」っていう気持ちが弱い。
語学習得で大事なのは「人と話したい。」「思いを伝えたい。」という気持ちが一番であると痛感しました。
その後、ホームステイと語学学校が終了した後はWWOOF(ウーフ)という制度を使ってボランティアのファームジョブをしたり、ブログを通じて出会った日本人の方と交流したり、ミートファクトリーで働いたりといろいろ苦しくも楽しい日々を送り、僕のワーホリ生活は終わります。
約1年間のワーホリ生活で得た語学力は、”雰囲気で何言っているかがわかる”程度のものです。「留学していた」なんて恥ずかしくて言えないくらいひどい語学力です。
そして目的を見失い、再びニート生活へ。
帰国後〜現在
帰国して実家に戻り、貯金を切り崩しながら生活していました。
親の視線も気になり、「とりあえず興味があることから始めよう!」と関西から逃げるように九州へ移住。
今はブログを書きながらバイト生活です。
帰国してからもう一度中学英語の基礎から英語の勉強を始めてみたりもしましたが、目的がないので続きません。
英語以外では、今はお金の勉強をするために本を読んだり、ネットラジオのVoicyやお金に関する動画を毎日見ています。
とにかく時間はたっぷりあるはずなので、今の時間を使ってブログと知りたいことを勉強する時間にあてています。
終わりに
というわけで、「勉強」を主軸に自分のヒストリーを書いてみました。
かなりめんどくさくて時間もかかった割には読み応えのない内容になりました。(俺の人生とは)
そして、書いといて恥ずかしいので誰にも読まれたくないっていうね。
まあ誰かしら同じ境遇の人に響いてもらえたのなら、共にこれから勉強して人生を豊かにしていきましょうよって感じです。
勉強以外でも、興味があることには早いうちに挑戦していきたいですね。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!