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【前編】自分がいかに勉強が苦手だったか…勉強ヒストリーを書いてみる。

もう本当に勉強が苦手…嫌いで嫌いで仕方がなかった。

 

今回は自分がいかに勉強が苦手だったのか?という勉強ヒストリーを書いてみます。

ちなみに、机に向かってカリカリするだけが「勉強」ではないですが(むしろそれ意外が大事なんですが)、あまり深く考えずに一般的な「勉強」のイメージで見てもらえたらと思います。

 

ちなみに長くなりすぎたので前編と後編に分けたいと思います。

まずは前編(幼稚園〜浪人時代)からどうぞ!

 

後編はこちら>>>【後編】自分がいかに勉強が苦手だったか…勉強ヒストリーを書いてみる。

 

幼稚園時代(0〜6才)

日本が世界一の長寿国になった1984年(昭和59年)、グリコ・森永事件の年にこの世に生を受ける。(うわ〜1984年って、もう大昔ですね…)

 

物心がついた頃にはファミコンのコントローラーを握ってました。

 

5才上に兄がおりますが、兄も勉強が苦手。(のように見えました)

その様子を見て「ああ、勉強ってしんどいものなんだな〜」という印象を受けました。勉強にはあまり良いイメージが持てなかったです。

 

しかしその頃に確かおばあちゃんに買ってもらった子供用の計算ドリル?みたいなやつで、親に足し算のやり方を聞いて一生懸命解きました。

 

「+」の記号が新鮮で、問題を解くと少し大人になれた気がしました。

この頃だけは勉強というものが楽しかったと記憶してます。

 

そして気づいたらいろんな習い事に通わされました。

決して裕福な家庭ではないですが、いろいろ経験させてくれようとした親には感謝しています。で、その頃に英会話教室にも通っています。

 

わけもわからず始まった英会話の勉強。

目的もなく、英語が理解できなさすぎて全く役には立たなかったですね。

 

英会話教室に通わせてくれた親を悪く言うつもりはないですが、子供に英語を学ばせたいなら英会話教室に通わせるだけじゃなく、ちゃんと家でも英語を話させる習慣を付けさせた方がいいと今は思います。(そして親自身も英語を学ぶべきかと…)

 

僕の英語学習はこの頃から始まっておりましたが

悲しいかな、その27年後に海外留学(ワーホリ)に行きますがこの頃の英会話教室の経験は全く役には立たず、帰国した今でも英語は話せませんw

 

まあ習い事以外は友達や兄弟とゲームしたり、外で遊んだりとのびのび過ごしていましたね。

 

そしてピカピカの小学一年生へ突入!

 

小学校時代(6〜12才)

期待と不安を胸に抱いて小学校に入学!

低学年の頃の記憶はあまりないですね。授業中の自分の様子もあまり思い出せませんが、「自分で考える力」が弱かったので(今も)、まわりに合わせることに必死だったかも知れません。

小学校2年生になり、相変わらず水泳や空手教室、習字などの習い事に通っていましたがこの頃に学○教室に通います。(あと空手してたからと言って強くはないw)

 

学○教室の先生は怖くて、理解力のない自分は何度も怒られましたね。(あの先生元気かな?)

親も子供に勉強ができるようにする為に必死だったんだと思いますが、ゲームしたり友達と遊びたかった自分にとっては苦痛な時間でした。(親も先生のことも悪く言いたくはないですが)

 

宿題なんてもう苦痛で苦痛でしょうがないです。

ちゃんとやった記憶がありませんw

 

幼稚園の頃に一瞬だけ楽しいと思えた勉強も、気づけば嫌いなものになっていました。

そして「自分は頭が悪いんだ」と思うようになりました。

 

漢字も読めず、それを友達にバカにされ、「間違えることは恥ずかしい」とどんどん勉強に対する苦手意識が強くなりましたね。そーいえば九九を憶えるのも苦労しました。九九って一番最初の難関ですよね…

 

本を読むのも難しく、友達は図書館で楽しそうに本を借りて読んでいたので真似したりしましたが、1行読むのにも精一杯でしたw

 

漫画とか、こち亀みたいな文字が多いやつとかしんどすぎて読めなかったです。

 

夏休みの宿題なんて後半いっきに頑張るどころか、二学期の初登校で「宿題やったけど(持ってくるの)忘れましたー」とか言ってたからねw

 

授業中に手を上げることもなく、宿題はちゃんとせず、忘れ物も多かった自分はどんどんややこしくなる勉強(特に算数)にはついていけず、中学生になってしまいます!

 

中学校時代(12〜15才)

中学生になってしまいました!

今まで遊んでばかりいた小学校に比べて、中学校というのはなんだか大人への第一歩!って感じでした。

 

そして中間テストや期末テスト、平均点とかなにやらしんどい単語ばかりが出てきます。

5才上の兄がいたこともあり、中学校はより勉強が苦しい場所ってイメージでした。

 

もちろん授業はついて行けません。

とりあえずノートだけは綺麗に取ってました。(これが自分にとっての勉強でした…)

 

中学になると小学校の頃のように授業中に手を上げて発言するのではなく、出席番号や先生の気分で当てられるようになります。勉強が理解できない&引っ込み思案、恥ずかしがり屋の僕はこれが苦痛でした。

 

初期の英語の授業中、「この単語を読んで」って当てられたました。確か「New」と書かれていたと思います。「ニュー」と答えればいいだけなんですが、緊張した僕は答えられません。

見かねた先生が「じゃあ”N”はなんて読むかな?」とどんどん簡単にしてくれましたが、簡単になった分間違えたら恥ずかしいという思いが強くなり、もう”N”がエヌなのかエムと読むのかわけがわからなくなりパニック!

 

「英語が苦手なので、本当にわかりません…」

 

なんて言う始末。

 

先生は「おぉ!俺も苦手だよ!一緒一緒!」って言ってなぜか握手をしましたが、静まり返った教室の中でめっちゃ恥ずかしかったです…(子供の頃に通った英会話教室はなんだったのか!)

 

そんな感じで授業は緊張の連続でしたね。

当てられて本を読むのも苦手…相変わらず漢字は読めない。

 

数学や英語も苦手ですが、「憶えるだけ」と言われた歴史も苦手。

勉強に集中できず”憶える”という行為そのものができないんで、歴史のテストでなんと9点を取ったことがあります!選択問題でたまたまかすった点数のみ!

 

あとは中学校と言えば部活動!僕はバスケ部でした。

テスト一週間前は部活が休みなので、「友達と勉強する」とか言って勉強せずに遊んでましたね。

 

部活動のかたわら、塾にも通っていました!

 

最初は小学校時代の学○教室の先生に勧められた個人経営の塾へ。

ここの塾長は数学担当の方でしたが厳しい人でした。

 

授業中に当てられた問題に答えられなかったとき、「夢も希望もないな〜」って言われたのはトラウマですね。まあ間違いではない

 

あとここの塾は先生が厳しい人だった為か小石を投げられてガラスにヒビが入っていたり、イタズラ電話がかかっていたようですがさすがに僕はそういうことはしていませんw

 

で、耐えかねて次に選んだのは同級生や地元の中学生のほとんどが通う人気の塾へ。

塾に入るのに入塾テストを受けることになります。

 

塾のクラスは成績順で8クラスもあります!

もちろん入塾テストの結果は散々で、最下層のクラスでした。

 

この頃、勉強のストレスからか仲の良かった友達から勉強のことでバカにされるようになり、「○○(最下層クラス)の主」って散々バカにされましたね^^

 

結局その最下層のクラスから上がることはありませんでした。

 

この塾の先生にもよく怒られてましたね。

出来の悪いクラスの子は理解力もなくちっとも成績が上がらないので先生もイライラしてたんでしょうが、この頃の経験から「塾の先生」全般的に良いイメージは持てないです…

 

とにかくこの頃、特に中2の頃の夏休みは部活に行って、帰って母が作ってくれた冷たいアイスココアを飲んで夏期講習へ行くっていう部活と塾のみの生活スタイルでした。

自分でもよく頑張っていたな〜と思いますが、ただしんどい思いをしていただけで全く勉強に身が入っていなかったので「努力していた気になっていた」だけなんですがね…

(でも連立方程式とかフレミング左手の法則とか解けると少し楽しかったなー)

 

まあなんやかんやで高校受験は名前を書いただけで受かると言われた私立、落ちると思っていた私立、分割入試で受けた本命の工業高校に受かり、一般入試を控えた同級生より先に高校受験戦争が終わりホッとしました。

 

この落ちると思っていた私立高校に受かった時が一番嬉しかったですね!

「命が繋がった!」と、一人で部屋を飛び回ってたことを思い出します。

 

とまあ暗〜い中学時代が終わりました。

この頃は思春期ということもあり、勉強も出来ず女子と話すと顔が赤くなるから怖くて話せず、とにかく暗黒時代でした。まさに黒歴史!あんまり思い出したくない!

 

というわけで次、青春ど真ん中の高校生活です!

 

高校時代(15〜18才)

これからはパソコンだ!アホな普通高校より就職率が高い工業高校へ行こう!と選んだ高校へ入学。

 

そうそうこの高校の入試問題は、一応は近所で人気の塾に通っていたこともありめっちゃ簡単に思えました。正直、まわりもアホそうな人ばかりだったので「こりゃいける!」なんて思いましたね。笑

同じ中学から一緒に受験した5人と合格発表を見に行くんですが…

 

俺だけ受かってましたw

 

本命の高校に受かった安堵感、そしてこの喜びを表現したくとも友達の前でははしゃげない…

 

「受かってた…」って苦笑いしながら受付へ行ったことを覚えていますね。

帰り道、友達が学校へ「Kくん以外落ちました」って電話して、そのあとなぜかみんなでカラオケに行ったことを覚えています。

 

 

そんなこんなで始まった青春ど真ん中の高校生活!

 

最初の授業はレベルが低く、英語なんてまたABCから始まったので拍子抜け!

生徒の質も(あくまでみんなが真面目だった中学校に比べて)悪く、授業中に平気で寝てる人がいて驚きました!

 

しかし、そんな自分も高校2年生になるとたがが外れて授業中に平気で寝るようになります。

 

いつしか勉強も付いていけなくなってました。

情報を専門としたクラスだったけど、コンピューターのことはよくわからず、苦手な数字(単位とか二進数とか)がいっぱい出てくる…

 

英語も物理も美術すら!何もかも興味が湧かず、中間テストではいつも赤点で放課後に補習を受けてましたねw

 

期末テストで一夜漬けでなんとか挽回し、毎年ギリギリのところで留年を逃れてました。

いつも優しい先生と廊下ですれ違った際、「テスト散々だったみたいだね。聞いたよ…」って説教されたこともありました…

 

同程度のバカが集まる高校かと思いきや、不思議なものでここでも勉強が出来るものと出来ないものに分かれますね。もちろん僕は後者です。

 

ちなみに高校でもバスケ部に入学。バスケとは程遠いぬるま湯玉入れ部!

だからこそ同時にバイトもできて、夏は1時間かけて学校へ行って練習、1時間かけて家に帰って速攻バイトに出かける毎日でした。中2の頃と同じように、「努力した気になっていた」日々ですね!親にも「今までで一番頑張ってる」なんて言われましたがw

 

ちなみに高3でバスケ部の顧問が赤鬼みたいな先生に代わり、月〜日曜日まで全部朝練があるっていう地獄の数ヶ月が始まりましたがそれはまた別の話。

 

恋愛?

 

いや全学年に女生徒数名しかいないのにあるわけないじゃんw

 

まあこの頃は出会い系サイトの走りが出没して、それぞれみんなメル友が2,3人いる状況だったと思いますが…女子慣れすることなく高校生活を終えましたね。。

(あ、通学電車で逆ナンっぽいこともありましたがそれもまた別の話ですw)

 

 

で、進路をどうするのかと。

この工業高校からは就職する人が多かったのですが、働きたくない自分はまず専門学校を考えました。が、専門学校は2年で終わるし、2年で専門的なことが身につくとも思えない!ということで就職から逃げる気持ちから大学受験を目指します。

お金のことを考えないクソ息子ですね…。「就職してくれると思ってた」って母親も悲しそうでした。すいません

 

大学の受験勉強として夏期講習に通ったりもしましたがほぼサボったりとほとんど勉強をした記憶がありません。親に頼んで通信教育をお願いしましたが、それもほぼやらないので親に怒られてました。うわー今考えてもクソすぎる!!

 

そんなこんなで2つくらい受験しましたが全て不合格。

名前を書いたら受かるって言われた大学すら落ちてました。

 

仲が良い地元の友達(コイツは賢い)と、大学受験の不合格通知を一緒に燃やしましたね。

 

 

そしてその友達と恐怖の浪人生活が開始します!

 

浪人時代(18〜19才)

ここからは恐怖の浪人生活!

未だに夢に出てきます…

 

先に言っときますけどここでも僕はちゃんと勉強をしません。…いや、するんだけどやっぱり勉強が苦手で勉強をするふりをしていたのだと思います。

 

しかしここで勉強に対する考え方が変わったし、良くも悪くも人生観も変わったと思っています。

 

 

さて、無事に?高校も卒業した僕は予備校をどうしよう〜?なんて呑気にしてたら、一緒に合格通知を燃やした仲の友達が個人経営の予備校のチラシを持ってきて「ここ一緒に行かない?」って誘ってくれました。授業料も安めなので、一緒に説明会へ行くことに。

 

そこは教室が2つしかない本当に小さな予備校でした。

入るやいなや優しそうな背の高い人に「こんにちわ〜」って笑顔で挨拶されました。この人が塾長でした。で、説明会はこの予備校の英語の先生が行いました。デスノートのワタリに似てるからここからはワタリにします。

 

説明会に参加し、もうここしか選択肢がなかったので友達とこの予備校へ通うことになります。「うちは良心的な値段でやってます」ってことで、他の有名予備校よりは安かったと思います。(先生は有名予備校でも教えていたようです)

 

 

この予備校ではとにかく西の名門私立・関関同立に入れ!っていう予備校でした。それ以外は大学と認めないってくらいの勢いです。

 

塾長はもともと高校まで勉強が出来ずに浪人、一念発起して西の早稲田と言われる同志社大学に入学した経験からとにかく関関同立にこだわる感じでした。

あまり偏差値の良くない高校に通っていた僕を過去の自分と重ねたのか「なんとか関関同立に合格させてやりたい」って気にかけてくれていたと思います。(そのように思いました。)

 

そんなこんなで、その頃大学に国公立と私立があることすら知らなかったほどのバカな自分の浪人生活が始ることになります。

 

ここからの生活は地獄でしたね。

(と言っても大学受験ってこんなもんです)

 

あの優しそうに見えた塾長は「社会人になってからでは人生(人格)は変わらない」「電車で漫画を読む行為、立ち読みはバカがすること、禁止。」というようなかなり凝り固まった考えの方でした。

 

普段は優しいけど授業になると熱が入り、黒板をバンバン叩く熱血塾講師でしたね。

もちろん生徒を叩いたりすることはなかったけど、授業中に「ハッキリ言って君たちを数字でしか見ていない」って言っていたし、成績が伸びない僕のことはあまりよく思っていなかっただろうと思います。

 

そして英語のワタリがもうめっちゃ怖いんです!

授業中に答えられなかったら平気で冷たい言葉を投げかけられるんで、もう恐怖でしかなかったです。

 

毎朝、漢字と漢文と古文単語、英単語の小テストが出ます。

 

勉強が苦手な僕に塾長からは「とりあえず英単語以外は捨てていい」と言われていたので予備校へは自転車をやめて英単語帳を見ながら歩いて通っていましたね。それでも予備校に対する恐怖と勉強に不慣れすぎてほとんど頭に入ってこなかったです。

 

もちろん宿題も山ほど出ましたね。

 

予備校では授業終わりに2時間くらい自習の時間が与えられ、現役の高校生と入れ替えで予備校を後にします。

 

で、家に帰っても勉強をするわけですがもう勉強が嫌いすぎて集中できないんですよ…

気晴らしに好きな音楽を聴きながら宿題を進めますが…集中できません。

 

飯食ってお風呂に入るともうアウト!

気力なんて残っておらず、録画していた好きなテレビ番組を見て息抜きしていました〜

 

そーいえばお風呂場にジップロックに入れた英語のプリントを見たり、テレビはコンセントを抜いて見れなくしたり、いろいろ工夫をしていましたね。

 

しかし自分の勉強嫌いは筋金入りで、机に向かってもほぼ集中できず今思えば勉強をしているふりをしていただけでした。

さらに始末が悪いことに真面目な性格ではあるので、「遊ぶと受験に落ちる」と思い込んでいてほとんど誰とも遊びにいきませんでした。

 

というわけで予備校と家の往復でひたすら大嫌いな勉強(をするふり)の日々を乗り越え、最終的に関関同立とはほど遠いFランク私大のみ合格しました!(ちなみに運動を全くしていないのでもともと痩せ型だった僕の体重はこの頃にピークを迎えてます)

 

これなら現役の高校生の時に推薦で受験すれば良かったやんってレベルです。

(のちに素敵な仲間と巡り会えて楽しい学生生活になります)

 

 

予備校の塾長には一応電話で大学受験に受かったことを報告しました。

 

わざわざ連絡ありがとう」の「わざわざ」という言葉がひっかかりましたね。

予備校からしたらかなり不本意な結果だっただろうし。

 

あの時の先生方、元気かな?

未だに夢に出てくることがありますね。

 

30を越えて海外留学をしたのに英語は話せず、フリーターで未だに漫画を読んでる今の僕をみると開いた口が塞がらなくなるでしょうなw

 

そんなこんなで厳しい予備校に洗脳されてしまった僕は

「仮面浪人して東京の大学に行く!」というまたバカな野望を抱き、夢のキャンパスライフがはじまります!

 

しかし浪人時代は”自己管理”の大切さを教えてもらった、良くも悪くも自分の人生に影響を与えた期間だったなぁ

 

終わりに

というわけで勉強ヒストリー前編でした。

長くなりそうなのでここで一旦切ります。

 
後編に続く!>>>【後編】自分がいかに勉強が苦手だったか…勉強ヒストリーを書いてみる。