主張

別に「自分探し」してもよくないか?

先に言っとくけど、「自分探し」「自分探しの旅」って言葉は嫌いです。

というか『「自分探し」に嫌悪感。本当の自分なんてどこにもいない。ただの現実逃避じゃん』っていちいち言うやつが嫌いです。

 

もうかれこれ10年以上前に「自分探し」って言葉が使われ始めましたよね。

サッカーの中田英寿氏が引退時に「自分探しの旅に出る」みたいなことを言ったから流行ったのかな?

 

まあとにかく「自分探し」という言葉がなくならないなら、別に自分探したいやつは自分探ししてもいいんじゃない?って記事です。

「自分探し」とは?

「自分探し」って要は会社やめたりして急に海外放浪したりフラフラと浮世離れした生活をする中で、”今まで気づかなかった自分”に出会いにいくということですよね?

 

「英語を学んで積極的なれた」とか「子供の頃に一番好きだったことを思い出した」とかそういうやつ。「かけがえのない人と出会えた」とかも「自分探し」に入るかも知れない。

 

「他文化に触れて価値観を変える」のも「自分探し」ですね。

 

 

まあ現状の生活から離れて「今の自分を変える」ってやつです。

 

「自分探し」はバカっぽい

「自分探し」に嫌悪感を抱く気持ちもわかりますよ。

 

「自分探し」ってなんかバカっぽい。

「俺、自分探しの旅に出る」なんてナルシストかよって感じだし。

 

そりゃ、「おいおい本当の自分なんてどこにもいねーよ!」って言う気持ちもわかります。

 

「海外へ行く=自分探し」って言うのやめて

まあ僕が一番言いたいのは「海外へ行く」ってなるとすぐに「自分探し?w」って言うのはやめてってことです。

何を隠そう自分も30過ぎて会社やめて海外へワーホリ留学しています。

 

でも自分から「自分探しの旅に出る」なんて一言も言ってません。

 

にも関わらず…

 

 

え?自分探し?www

 

って散々言われましたからね。

その「自分探し」のワードの裏に「www」が孕んでるからね。

 

いや現実逃避ですよこんなもん。

でも海外へ行ってみたい、住んでみたいってずっと思っていたんだからしょうがない。

 

そして海外へ行ったからといって変わらないってこともわかってた。

だがしかし、そうは言っても何かしら変わるんじゃないかって思いながら海を越えて、海外へ行きましたね。

 

「自分探し」してもよくない?

この「自分探し」って言葉をなくしたいけどなくならない。

というか「海外へ行く=自分探し」って図式が消えない。

 

それならもう現実逃避だろうがなんだろうが、「自分探し」してもよくないか?って思うわけです。誰になんと言われようと現状の生活に満足できていないなら、自分の人生なんだから海外くらい行かせてやれよと。いや海外に限ったことじゃないけど。

 

ただね、日本の世間一般が考えるレールから外れることが「自分探し」と言うならそれでいいけど、やっぱりレールから外れて「自分探し」をしても本当の自分はそう簡単には見つからないよ(凄まじく人生は変わらないよ)っていうのは付け加えておきます。(どないやねん!)

 

終わりに

と、海外へ行っても英語は身につかず日本でフリーター生活をしている僕は思うわけです。笑

 

あ、海外へ行ったことはひとつも後悔していないし、貴重な経験もしたし素敵な出会いもありましたよ!(素敵な女性と出会ったってことじゃないよ!)

 

“自分を変える”のは会社勤めだろうが海外留学しようが結局自分次第なんですよね。

 

まあなんというか、僕はこれからも「自分探しをする」なんて言わないし、会社辞めて海外へ行くって言う人に「自分探し?w」ってバカにはしません。

 

『別に「自分探し」してもよくないか?』ってタイトルをつけながらこの終わり方!

誰が「自分探し」って言い始めたんだろうね。

 

ではまた!